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浅間(あさま)は、大日本帝国海軍に所属した装甲巡洋艦の1隻で浅間型装甲巡洋艦のネームシップである。艦名は群馬県と長野県の境にある「浅間山」にちなんで名づけられた。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。 ==艦歴== イギリスのアームストロング・ホイットワース社が、売却用に見込み生産していたものを購入。起工は1896年10月20日、進水は1898年3月22日。1899年3月18日に竣工。翌19日に出航し〔『官報』第4713号、明治32年3月22日。〕、5月17日に横須賀に到着した。 1900年には義和団の乱で出撃した。また、1902年にはイギリスへ派遣されてエドワード7世戴冠記念観艦式に参加した。 第二艦隊第二戦隊として日露戦争に参加したが、他の戦隊に臨時編入されることが多かった。仁川沖海戦では第四戦隊に編入され主力として活躍。第三戦隊に編入されていた黄海海戦では、燃料補給中だったために戦場への到着が遅れてほとんど参加できなかった。日本海海戦においては第二戦隊として参加したが、戦闘初期に被弾の影響で舵が故障し、落伍して集中砲火を浴びたが致命的な損傷は免れた。 第一次世界大戦では太平洋のドイツ領の攻略に参加。その後アメリカ西海岸で行動中1915年1月31日にメキシコ沖で座礁し、航行不能となる。5月、現地に赴いた工作艦「関東」の手によりサルベージされた。 1921年9月1日に、一等海防艦に種別変更された。 1931年6月1日に海防艦となる。1935年秋、広島湾・倉橋島南端で座礁〔#造船士官の回想 上65頁〕。当時「浅間」に乗艦していた吉田俊雄中尉によれば、当直将校の過失であった〔#海軍的思考法に学ぶ144頁〕。艦の中央部が岩礁に乗り上げて船体が折れそうになり、砲塔を起重機船で撤去して救難作業が行われた〔#造船士官の回想 上68頁〕。この竜骨損傷や、経年による老朽化などにより1942年7月1日、主砲、副砲を撤去し、主砲塔を撤去した跡に校舎を備え付け練習特務艦となった。 浅間は第二次世界大戦を生き延び、1945年11月30日に除籍。アメリカ占領下の1947年、日立造船因島工場で解体処分された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅間 (装甲巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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